人の暮らしに寄り添い、
社会課題に向き合うエナジーであるために。
過去から現在、そして未来まで続く
私たちの「幸せを追求する挑戦」をご紹介します。
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テーマ 生活
くらしの幸せを支える
エナジー1
たとえ電気が届かない場所だとしても、
電池ならエナジーを生み出せる。
世界中で電池をつくり、世界中に届けてきた私たちにしかできないことがまだまだある。
災害に最も強い電池とは? 無電化地域にふさわしい電池とは? 地球の未来が求める電池とは?
この星にいくつも解決すべき課題こそが私たちを進化させる、果てしないエナジーだ。
テーマ 生活
くらしの幸せを支える
エナジー2
電池の進化は、くらしを変えるエナジーとなりいくつもの不便や不可能から人々を解放してきた。
愛しい家族の思い出を記録する幸せも
会社を離れ好きな場所で仕事をする幸せも
子どもを乗せた自転車で遠出できる幸せも
電池の進化が実現し、支え続けてきた。
今はまだ夢や空想でしかない未知の体験もいつかきっと私たちのエナジーで叶えてみせよう。
テーマ 医療/健康
健康な人生をつくる
エナジー
テクノロジーの進化で人の平均寿命はどんどん延びてきた。
これから必要なのは長寿の時代をどれだけ幸せに生き続けていけるか。
長寿命なら私たちの電池も得意分野だ。
人類の健康と医療に貢献する。
それも私たちのエナジーに欠かせない使命だ。
テーマ 移動
移動を拡張する
エナジー
電気自動車の性能を大きく左右する「航続距離」。
その進化を最先端で支えるのも私たちのエナジーだ。
人類は長い間、未知の土地へ移動し続けることで地球上の隅々までたどりつき、繁栄した。
どこまで遠くに行けるか?その進化にはこれからの人類の幸せがかかっていると言っていい。
陸だけじゃない。海や空、やがてはその先へ。
私たちのエナジーが、移動をどこまでも拡張する。
テーマ 蓄電
電気の使い方を変える
エナジー
エナジーをつくるだけじゃない。エナジーの使い方をつくるのも私たちの領域だ。
データセンターや基地局のバックアップとして活躍してきた蓄電モジュールの活用により、
商業施設や家庭でのエナジーもマネジメントできる。
例えば深夜など電気代の安い時間帯の電気を貯めて昼間の活動に使えばコストを削減できるし、
ソーラーパネルと組み合わせてCO2も削減できる。
人の幸せと自然環境の鍵を握る「蓄電技術」。
その進化を、未来の人々が待っている。
テーマ 災害時
災害時に頼れる
エナジー
私たちのエナジーの原点である「あかり」。
かつて暗闇から人々を解放した歴史は今、
非常時に役立つ「あかり」へと受け継がれている。
数々の災害を経験した日本の知恵から生まれたもしもの不安に寄り添う機能の数々は、
家庭や職場、学校や病院などあらゆる場所で今日も人々の心を支え続けている。
テーマ 国内外拠点
世界で選ばれ続ける
エナジー
待っている人々が何億人もいるから。
私たちは多種多様な用途や性能のエナジーを、
今日も世界中で生産し、世界中に届けている。
けれど私たちのヴィジョンである未来を変えるエナジーになるためには今のままでは、まだまだ足りない。
生産力、販売力ともに圧倒的に強く大きくして世界の期待を超え続けなければならないのだ。
テーマ 電池教室
好奇心を育てる
エナジー
乾電池を入れるだけで、なぜモノが動いたり光ったり、熱くなったりするんだろう?
きっと子どもの頃、誰もが不思議に思ったはず。
その理由を楽しく、ていねいに、そして一生思い出に残る素敵な体験にして、
子どもたちに伝えている電池教室。
ただ教えるだけじゃない。好奇心を育てながら私たちの幸せも育ててもらっているのだ。
テーマ 未来
よりよい未来をつくる
エナジー
私たちのエナジーで走るEVが当たり前になれば、
大気中に排出されるCO2が大幅に減らせる。
電池の工場から排出されるCO2も、
さらに減らす努力をこれからも続けていく。
電池に充電される電気がCO2を排出しないクリーンな方法で発電できたら持続可能な環境にもっと貢献できるはずだ。私たちの進化が世の中の意識を変え、仲間が増えていくことで、
世界を変えるエナジーに、いつか必ずなってみせる。
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2020
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2008 〜
あきらめ
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からの解放 -
2005 〜 2008 〜
使い捨て
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からの解放 -
2008 〜 2014 〜
時空間
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からの解放 -
2000
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1997 〜
環境負荷
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からの解放 -
1991 〜
矛盾
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からの解放 -
1980
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1976 〜
メンテナンス
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からの解放 -
1970 〜
制約
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1964 〜
大きさ、重さ、パワー不足
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からの解放 -
1963 〜
短寿命
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からの解放 -
1960
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1955 〜
不便
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からの解放 -
1954 〜
液もれ
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からの解放 -
1940
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1931 〜
モノ不足
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からの解放 -
1923 〜
暗闇
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からの解放 -
1920
2008
あきらめ からの 解放
圧倒的な長寿命とパワー。 優れた保存性能。 液もれへの比類なき強さ。私たちがつくり続けるエナジーの歴史と誇り、そして未来への意志が込められた電池ブランドが2008年に誕生した「エボルタ」である。そのエボルタを象徴するプロジェクトが「エボルタチャレンジ」。長寿命とパワーを実証するために生まれたロボットのエボルタくんが、高さおよそ530mのグランドキャニオンを単3形アルカリ乾電池2本のみで見事に登頂したことを皮切りに、その後も様々なチャレンジに挑み続けている。ひたむきに続くエボルタチャレンジが伝えようとしているのは、世界一長もちというエボルタの性能だけではなく、どんな困難を前にしてもあきらめることなく挑み続ける、私たちの精神そのものではないだろうか。
20052008
使い捨て からの 解放
21世紀に入り、乾電池はすでに世界中で普及していたものの、使い捨てるという性質上、リサイクルの面など環境面での課題もあった。そこで当時の三洋電機が全社をあげて開発したのが乾電池と同形のニッケル水素電池「エネループ」である。従来の充電池の欠点だった自然放電の多さや継ぎ足し充電のしにくさなどを克服し、買ってすぐ使えて、継ぎ足し充電が可能で、くり返し使えるエネループは、新世紀の電池として大きな期待と注目を集め、次第にファンを増やしていった。2012年以降はパナソニックブランドとして「充電式エボルタ」とタッグを組んでラインナップを拡張し、性能面での進化を続けながら、充電し、くり返し使うという未来の電池のスタイルを世界に発信し続けている。
20082014
時空間 からの 解放
1970年に地球上の最高峰エベレストにたどりついた私たちのエナジーは、その33年後に小惑星探査機はやぶさに搭載され、ついに地球から遠く離れた宇宙へと旅立った。課せられたミッションは7年後の地球帰還の際、はやぶさ本体から切り離されて地上にたどりついた回収カプセルが、ビーコンを発信する際のエナジーを提供すること。極度の低温や高温など過酷な環境変化が想定される宇宙空間を何年も旅しながらエナジーを守り、最後に重要な使命を無事に果たせるか。失敗の許されない中で、何度も試験を重ねて性能を鍛え上げ、ついにオーストラリアの砂漠からその困難なミッションを達成した。その高い信頼性が評価され、2014年にははやぶさ2にも搭載。帰還時のミッションのみならず、小惑星上で「衝突装置」により人工的にクレータをつくる際のエナジーも提供し、小惑星リュウグウのサンプルリターンを実現した。いつの日か人類が宇宙で生活する未来をかなえる上で欠かせないエナジーとして、これからも私たちの進化の長旅は終わらない。
1997
環境負荷 からの 解放
自転車に乗る人々を暗闇から解放した。それが私たちのエナジーの原点だ。自転車から自動車へ、そしてその先へ。これからも私たちは人類の移動のエナジーであり続ける。人類最大の課題である気候変動問題において、モビリティエナジーは解決への重要な役割を担う。かつて自動車に環境性能という概念を生み出した世界初の量産型ハイブリッド車 にバッテリーを提供した私たちは、電気自動車(EV)市場のリーディング・カンパニーにも長い航続距離が確保できる高容量リチウムイオン電池を供給している。パナソニック エナジーのミッションは、幸せの追求と持続可能な環境が矛盾なく調和した社会の実現のため、 未来を変えるエナジーになること。この星に解決を待つ社会課題がある限り 「人類として、やるしかない。」という強い決意で挑み続ける。
1991
矛盾 からの 解放
世界的な環境意識の高まりにともない、地球の未来のために電池をどうつくるかという課題が私たちの中に芽生えていた。電池をつくり世界中に届けることと、地球環境を維持すること。ここに矛盾があってはならない。その想いが結実し、それまでの電池に微量ながら使われていた水銀を使用しない水銀ゼロ使用乾電池の開発に成功。私たちはこの技術を独占することなくアメリカやヨーロッパの企業に積極的に供与して、地球問題に取り組む日・米・欧のグローバルパートナーシップの促進もあわせて実行した。地球環境の課題は今日も、まだ人類にいくつも立ちはだかっている。エナジーをどうつくるか。それを自らに問い続ける責任は、私たちから消えることなくこれからも果てしなく続いていくはずだ。
1976
メンテナンス からの 解放
昭和初期からスタートしていた自動車用の蓄電池開発。高度経済成長期のモータリゼーションの加速により、どの家にも自動車が置かれるようになった1970年代に、その技術は飛躍的な進化を遂げることになった。 それまでカーバッテリーのメンテナンスは液量の点検や補充、充電量を確認するために、比重計という器具を用いて測定するなどの手間がかかっていた。その手間を省いた国内初のメンテナンスフリーカーバッテリーがついに完成する。カー・エレクトリックを略した「CAREC」。長時間無補水でも劣化しない性能は、アメリカ向けの輸出車に採用されると、たちまち大ヒット。日本のモビリティの進化に大きく貢献することになった。
1970
制約 からの 解放
ナショナルネオハイトップの活躍の場は、日常生活だけではなかった。発売の翌年5月、国中を歓喜させ、勇気づけた日本隊によるエベレスト初登頂。8848mという地球上で最も過酷な環境下で、大切な仲間を失うほどの苦難を乗り越えて達成された悲願の偉業だった。その時、日本隊を支えていたエナジーこそ、世界最高寿命のネオハイトップだったのだ。マイナス20℃を下回る極限の寒さと、地上より遥かに低い気圧という厳しい制約の中で、気象観測や隊員どうしの相互連絡などの重要任務を支えていた。その事実はさらなる高みを目指し続ける私たちの誇りとなり、その後の挑戦にも無限のエナジーをくれる原動力であり続けた。
1964
大きさ、重さ、パワー不足 からの 解放
戦後の高度経済成長を経て、1980年代になるとエレクトロニクス技術の高度化が一気に進み、カメラやビデオ、デジタル腕時計やゲームなど多種多様な製品が開発されるようになる。それにともない、もっと小さく、軽く、パワフルなエナジーがほしいと、電池にも今までにない性能が求められるようになった。60年代はニカド電池、70年代後半からはコイン形や円筒形の高性能なリチウム電池といった様々なイノベーションがこの時期、次々と誕生する。その後も従来のニカド電池の約2倍の容量を有するニッケル水素電池や、ノートパソコンやスマートフォンの小型軽量化を実現させたリチウムイオン二次電池、近年ではワイヤレスイヤホンに内蔵できるほど小型化されたピン形リチウムイオン電池の開発など、今なお電池の進化はとどまることなく多様化する社会に貢献し続けている。
1963
短寿命 からの 解放
ナショナルハイパー誕生以降も、私たちの進化が終わることはなかった。次に目指したのはさらなる長寿命。しかも従来の2倍長もちという途方もないハードルが全社に掲げられていた。電池は国際規格による厳しい寸法規制があり、化学製品ならではの技術的難関も多い。液もれしにくいのは当然で、長い間放置していても容量が減らず、しかも寒さ、暑さ、多湿という悪条件でもその性能をいかんなく発揮する電池の開発。その挑戦はついに世界一の長寿命「ハイトップ」完成により実を結ぶ。これによりカミソリ、電卓などより幅広い分野にも使われるようになり需要も増大した。その後も努力を重ねて6年後にはさらに1.5倍も寿命を伸ばした「ネオハイトップ」が完成。世界一長く使えるエナジーが世界中へ届けられることとなった。
1955
不便 からの 解放
電池の他にない魅力は、様々な場所で使えるエナジーであること。それまでは懐中電灯やランプなど、光の分野が中心だった乾電池だが、熱、力、音といった新たな分野が切り拓かれてゆき、時計や自動ガスコンロ、110番ブザー、風呂ブザー、電気ウキなど、様々な領域で次々と新製品の開発が進んだ。その先駆けとなったのが乾電池式ガスライターだった。家庭で毎日何度も使われ、家事に濡れた手でもすぐに着火できるというイノベーションを生み出したガスライターは、またたく間に200万世帯へと行き渡った。あらゆる場所に持ち運べることによる不便からの解放。この流れはその後、深夜勤務の看護師たちが胸ポケットに入れて両手を自由に使うことができるフレキシブルライトなどにつながっていく。日々の暮らしや仕事の不便からの解放のために次々と生まれた電池応用商品は、世界中の人々を便利にし続けていくのだった。
1954
液もれ からの 解放
乾電池の普及が進む中、私たちに次に求められたのは世界水準の乾電池づくりだった。当時は外国メーカーとの技術提携も盛んに行われていたが、技術者たちの想いは外国の力を借りることではなかった。「自分たちの技術で開発させてほしい」と創業者に熱心に訴え、ついに独自開発が認められる。それまでの電池は紙の外装だったが、新たに金属外装が採用された。これにより液もれをほぼ防ぐことができ、保存性も大幅に向上した。さらに糸巻き合剤から裸式合剤に変更することで、生産性も格段に向上することができた。技術者たちの汗と涙と誇りによって、ついに完成した日本初の完全金属外装乾電池「ナショナルハイパー」。日本のエナジーの歴史にとっても、大きな進歩となった。
1931
モノ不足 からの 解放
砲弾型ランプに続いて1927年に発売した角型ランプが大ヒット。ナショナルランプの名の通り国民的ランプになりつつある中で、乾電池の仕入先だった岡田電気商会では電池の生産が追いつかなくなっていった。そこで大阪でライバルだった小森乾電池にも生産を依頼。すると意外にも小森の工場を買い取ってほしいと申し出があった。元々のパートナーだった岡田電気商会にもその申し出を打ち明けて快諾してもらい、松下電器第八工場として電池の自社生産がスタート。これによりランプと乾電池の大量生産とコストダウンが可能になり、乾電池が生み出すエナジーは人々の生活の必需品になってゆく。
1923
暗闇 からの 解放
はじまりは移動のための「灯り」を生み出すエナジーだった。当時の自転車用灯火はローソクか石油ランプがほとんどで、暗闇での移動にはとても不便だった。電池式もあったが寿命がわずか2〜3時間で故障も多かった。長寿命ランプの必要性を強く感じていた当時28歳の松下幸之助は、およそ6ヵ月の試作を重ね、エキセル球(5倍球)とエキセル電池を組み合わせた独創的な「砲弾型ランプ」を完成させる。これにより30〜40時間以上もの長寿命が実現した。自転車小売店を回って30時間の点灯試験をしてもらい、納得できたら買ってもらう実物宣伝販売が大当たりし、次々と注文が入る大ヒット商品になった。夜の暗闇が今よりはるかに深かった時代、自転車の灯りがいつも点いていてくれることが、夜道だけでなくどれほど人々の心まで明るくしたか、想像に難くない。